

DIVA
アートスクール、最近のアー写から予感したとおりの最近のPVで切なくなったけど、
きっと何かに挑戦してるんだよね、私は断然なぜかDIVAが異常に好きです
たえちゃんやナミキはアートスクールだと何がすきなんですかーーー!
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気付いたので、書きます
わたしビジュツは大学2か3から学びだしたようなきもちだったんだけど、
それを支える根底(私の場合)の「じーっと見る」っていう目は、もっと昔からあって、
色んなこと(恋とか恋とか恋とかその他)がそれと混同していただけで、
もっと上のほうからその好きなひとやことだって、見下ろせば、ビジュツという名前なら
それでもなんでもいいんだけど、そういうククリだったのかもしれない、
好きなひともヒトとかいう個体でなくて、そういう目線世界のなかの物体として、
好いていたんじゃないでしょうか!って思いました
っつーかそういう風に思えば、昔が今に報われて関連づけられて、分かりやすいじゃん
って思ったってはなしなんだけど、最近違うなんか違うと思っていたのは
こういうことだったのかもしれません
っつーかそういう風に思えれたら、なんか納得だからいいんです
もちろんアトから見直して気付くことです、年取るとアト付けばかりします
つまり「じーっと見る」対象の呼び名が変わってるだけなんじゃない?
っていう単純構造です。つまり何も変わっていない。
名前(ことば)って便利だけど、本当に強烈だから邪魔だなって思いました。
何にも変わってないなら、何にも悩む必要なんてなかったろうに、なんて思いました
そして、「じーっと見る」に振り回されまくりだなと思いました
それは爆発的に楽しかったり、かなしかったりするね、
影響を受ける、というよりももっと私にとっては直接的なかんじ。
ヒモのつながれた棒の真ん中がそれで、ブンブン回転してるのがじぶん
そういう感じ。その真ん中の棒はそのときそのときによって違って、
ブンブン最中に、不時着したり何かにぶつかったり打ち上げられたりしてる、そんな感じ。
しかも、そのヒモ付きブンブン棒の数があればあるだけいい、と本人が思っている。
常に何個もブンブンされてたい、掛け持ちしたいと思っている。
その数がずっと増えればいい、まだまだまだまだまだ足りないって思いながらも、
7・8年とか回りっ放しの、もういい加減回るの止まないかな・・って思ってる棒もある。感じ。
これ自分的にスゲー分かりやすい例えなんだけど、どーなんかね
振り回されたい欲ってなんなのーキケンじゃないのソレー、何体質ヨー
って思いながらも、これは中毒とかっていう一定期間とかを時間的に超えてるから、
きっとしらないけど宗教ってやつに近いんだと思いますって気分になってる。わーい
深くない思想ほど、微妙なものはないって思うんですけど、
(中途半端にあるくらいなら、ダサいし、邪魔だし、何もないほうがいい)
どうなんでしょうか。
ときどき、これのせいで、一線を引かれて別物の扱いを受けたり、
その場から私が消えたりすることがあると感じるけど、
そこまでしてもらうほどのものを持ってると全然思えず、悔しい。
持ちかけてるとしたら、持ちたいと思うのが本音なんでしょう
ひとがどこからバリケード張るかを見れるっていう力が、
所謂、空気を読む力だとしたら、悲しい。
でもどこかでそういう目で、見てる。全くえらくもないのにねー
こだわりに理由はあるか、と聞かれたらたぶんない。けど、
目の前がグチャグチャピカピカドロドロな何か∞で、
そこでオットットーてなって入りそうで入んない、みたいな今。なんだけど
もう入るしかなくて、だって入らなかったとしたら、それは「じーっと見る」の放棄で、
もちろん見られる側に行くなんて立場からはオサラバなのです
でも、マサトさんのゆうように、こんな戯言も、「たかがしれてる」のだなー。
100パーオサラバなわけないし。ムニャムニャ・・・
と思うけど、こういうことを思うことは有害だとは思わない。ぞー。
むしろこういうことで、時が過ぎたのである。まじで200万×4、それで過ぎたぞーん。
そんな感じな私が、今作品と呼ばれるなにかを作るという機会に何を作るのか、
気になっているのは数年後また何かに気付いているだろう(ほしい)自分でしかない
ってまだまだミジュクジュクですねーーーー!まぁいいじゃん、あああうみゃああああああ
ポ!!!!

